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商品説明
静寛院宮御日記・2冊/孝明天皇の妹和宮の日記/昭和3年/非売品/天金本/戊辰戦争中に朝廷に手紙を送り天璋院篤姫と共に徳川家の存続を訴える
昭和3年 非売品 608ページ ゆうメール・レターパック規格外 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
一,静寛院宮御日記(明治二年―六年),静寛院宮御詠集(明治三年―九年),静寛院宮御消息(文久二年―慶応三年),観行院手留(嘉永元年―文久三年) 二,静寛院宮御側日記(万延元年―慶応三年),昭徳院御凶事留(慶応二年),土御門藤子筆記(明治元年).
静寛院宮
没年:明治10.9.2(1877)
生年:弘化3.閏5.10(1846.7.3)
江戸幕府14代将軍徳川家茂の妻。仁孝天皇の第8皇女。孝明天皇の妹。母は典侍橋本経子(観行院)。幼称は和宮。諱は親子。嘉永4(1851)年有栖川宮熾仁親王と婚約したが,万延1(1860)年内憂外患に苦慮する幕府が幕権回復(「公武合体」)のため皇女降嫁を奏請したことから運命が一変した。孝明天皇の反対などによって紆余曲折を経たものの2年後に降嫁。これに先立ち,内親王宣下を受ける。江戸城大奥での生活は,生活習慣の違い,皇女という立場,天璋院(徳川家定御台所,家茂の養母)との不和,さらに政局の影響などもあって苦労が多かったという。慶応2(1866)年家茂の死去により薙髪して静寛院と号した。家茂哀悼の和歌「空蝉の唐織ごろもなにかせむ綾も錦も君ありてこそ」は有名だが,偽作との説もある。その後,宮の帰京が議せられるなか朝幕開戦となり,徳川家の存続を朝廷に嘆願した。明治2(1869)年京都に帰住するが,5年後再び東京へ移居。脚気衝心により療養先の箱根で没した。墓所は芝増上寺。『和宮』,『静寛院宮御日記』
お探しの方、お好きな 方いかがでしょうか。
品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあります。表紙傷、小汚れ(しみ)。ページ黄ばみ、しみ。蔵書印あり。昭和3年ですので全体的に経年感はあります。 ご理解の上、ご入札ください。 もちろん読む分には問題ありません。468643